コミュニケーション・・・権利を勝ち取る為に命をかけた人々

コミュニケーションは、互いに認め合い、意見を表明し合う事で初めて成立するものです。
しかし、その権利を勝ち取る為に命をかけた人々の歴史を持っています。

アサーティブネス

この言葉は「意見表明」と言った意味ですが、たった50年前までは自由の国アメリカで、許されていない人たちがいました。
この人たちは生まれながらにして、同じバスに乗ったり、同じ学校に行ったり、同じレストランで食事をすることも許されませんでした。
ある日ローザ・パークスという女性が、アラバマ州モントゴメリーの市バス内で席を移るよう求めた男性に拒否をしたところ、通報され駆けつけた警察に逮捕、投獄されてしまいました。
市バスで席を譲る事を拒んだだけなのに、こんな事すら許されなかったのです。
その理由は「生まれつき肌の色が黒い」という事だけでした。
そして、1963年8月28日「私には夢がある」と平等を訴え全米の黒人の心をひとつに束ねたマーティン・ルーサー・キング牧師率いる20万人のデモ行進がワシントンで行われます。
やがてその抗議は全米で黒人暴動という形で広がっていきました。
彼が求めた事、それはすなわちアサーティブネスでした。

翻って日本はの場合は、東京大学名誉教授 土居健郎氏によれば、甘えの構造によって、利益の出る構造を作る責任を放棄して従業員のサービス残業に甘えてしまうマネージャーや、自分の思い通りにならない部下をいじめてしまうパワハラといった幼児性があります。

こうした幼児性は、家庭においても妻に甘え、家事、育児を丸投げする夫が社会問題化しています。2020年版男女共同参画白書によれば夫婦共働きが増えているにもかかわらず、妻が育児と家事に充てる時間は夫の2倍超と負担が集中している実態が浮き彫りとなりました。「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」という考え方に反対の人は6割に上るが、意識と実態がかけ離れており甘えず自立する事が必要です。

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アサーティブネスの基本概念は人は誰でも自分らしく生きる権利があるというものです。

黒人も白人と同じ権利を持っていいのではないかという主張は、白人を否定するものでもなく、あなたもOK、私もOKの主張です。
サービス残業を無くして夫が妻と同じく家事と育児を担ってもいいのではないかと言う主張も、同じく夫もOK、妻もOKの主張です。
それは、ひとはみな、 誰かに強要されたり、抑圧されることなく、自分の考え。 感じ方を率直に表現してもいいということです。
つまり、自分を認めることは、同時に他者も認めることなのです。

投稿者: 二本松 哲也

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